焼場の業者 その1
保険会社は柱が残ったら全焼にしないのか?
ある意味本当である。
都市伝説として語り継がれる質問である。
平成20年に長崎県消防学校でもこの質問に答えた事がある。
昭和20年終戦(80年前)となり、敗戦国である我が国は貧しかった。
昭和38年生まれの小生も敗戦国で貧しい国家であることは 実感出来た時代である。
ミルクという名の脱脂粉乳を飲まされ、チクロという名の甘味料の駄菓子を食べ、テレビは白黒という時代で肉は贅沢品で、安価な鯨の肉を食べていた。
一年に1回小学校の校庭で髪の毛にDDTという進駐軍のスプレーをぶっかけられた時代である。
ちなみに長崎県では『リーリーチー』と呼称。
この様な歴史背景の中で、 昭和30年代、焼損した木造建物の軸組である柱,梁,垂木,母屋等は 炭として売れた。 もう、焼かなくていい炭に変身している木材である。
不燃材や断熱材等の新建材が無い時代である。 木造建物はよく燃えた。 そりゃあ買い取るよねって感じである。 反対に床組は焼けてなくて消火注水で濡損しているからこれは だだの産廃である。
水道の蛇口は真鍮(黄銅とも呼ばれる。銅と亜鉛の合金), 庇は鉄板,電線ケーブルは銅(赤金)として焼残価額として所謂スクラップとして バッタ屋が買っていた。
免災となった瓦などは近所に配った時代の話である。
割れた瓦は土塀の中に埋込み構造体とする。 焼場はお宝というか資源の山だったのである。 木材を炭として使い、金属はまた再利用、焼場のリサイクルである。
以上に依りその分を焼残価額として保険金から差し引いて保険会社が支払っていた。
だから、柱1本はあんまりとして保険金額全額では無くて、焼残価額を差引いて正味損害額として保険金をてん補していた。 反対に保険金額全額の支払いの場合は焼残骸の所有権が保険会社となり、(保険代位)それを保険会社が業者に売却していた。 その業者が現在の鑑定事務所である。
令和7年6月14日
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