長屋造り(町屋造りの長屋バージョン)
鑑定人諸氏は区分所有建物と言えば一般に分譲マンションを考えるであろう。 古き良き文化の町の長崎市では江戸時代末期の長屋造りの建物が現存している。 木造の区分所有建物である。 町屋造りでもあり、外廻りの建具には1寸角の木製の面格子がしてあり、防犯対策も良い。 丸山遊郭跡にも少し現存している。 一部を除いて長崎市内には武家屋敷は無い。 その一部とは旧佐賀藩(深堀藩)で中心地から離れた飛地の佐賀領。 深堀地区は武家屋敷は解体されたものの石垣だけは残っている。 ここは後日記載予定。
以前に視察に赴いた埼玉県の豪華な小江戸の川越地区。 重厚な瓦葺きも素晴らしいが軒樋の受金具が分厚い鉄製で錆付仕上げ、隣接する隣家との間に延焼防止の『うだつ』に因る防火措置を行い、 またこれがお洒落である。 そして全ての建物が豪邸である。 防火の為に外壁はもちろん黒漆喰仕上げで趣が有る。 この頃から火災に対する考え方が完成していた。 防虫に関しては埼玉県には海が無い為、室内で火を焚いて構造材を自動的に乾かし囲炉裏のその煤に因り虫に因る食害等を防止しているらしい。 反対に長崎においては幕府直轄の天領であった為質素倹約令で 豪華な建物は建築できなかった。 チープな建物はその構造と仕上がりのシンプルさから手直ししなくても 日常の維持管理が希薄でも耐用年数が長い。 江戸時代の木造の長屋がなぜ白蟻の食害に因る被害が無いのか? 長崎において材木運搬はその殆どが海である。 故意に木材に塩水を吸い込ませて防虫効果を出している。 床下の通気性確保の為基礎は当然石端建工法である。
床下で鶏を飼い害虫を食べさせて虫のいない通気性のある快適な和室である。 高温多湿の長崎では壁を3寸5分と薄くして風通しを良くして湿気を回避し、200年以上経年の建物が令和の現在も普通に人が住んでいる。 しかし、老朽化した屋根瓦を葺き替える際に隣家と揉める。 『その際、一緒にお金を出し合ってお互いの共用の屋根を葺き替えましょう。』 …となる訳ない。
そう、だから、3軒長屋の一部だけが新しい和瓦になり、隣の家の戦前の屋根にサイズが異なる瓦を無理やり南蛮漆喰で接合してある。 幕末から開港してやっと西洋文化が入り洋館が立ちだしたのは別の話である。 令和7年6月20日
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