文化財の事故の修復工事 その2
天川漆喰(マカオ石灰) …小生の勝手な呼称としてマカオ漆喰と呼ぶことにした。
長崎市の○○堂~1736年(江戸時代)に南京地方の華僑により建立され航海の神様を御祭りしておられる素敵な建物である。 寛政2年(1790年)に大規模修繕し、明治39年(1906年)に再び大規模修繕工事をして、その際、境界線というか目隠塀として煉瓦塀が建立されたものと推定される。
航海の神様の御鎮座されている場所の結界の役目もある。
○○市役所指定の文化財の補修工事に携わっている㈲○○工房に訪ねていった。 市役所指定だから大きな会社であろうと想像しつつ会社を訪ねた。 なんと社長自らが職人として腕を振るう小さな会社であった。
お話すると人柄は温厚篤実の社長。
『前(煉瓦塀の)改修工事をしたのは天皇陛下(昭和天皇)が亡くなった時 だから平成元年くらいだった。 今度のお堂の煉瓦塀修理は18年ぶりやね。』
平成19年の事故であったから18年ぶりのアマカワの煉瓦塀の修理である。 赤土と石灰と苆(すさ)と○○と△△をまぜてから作る。
真似されると嫌だから、詳しい材料は教えられないと言われた。 所謂企業秘密である。
その御仁に破損箇所の説明の為、後日現場に来て頂いた。
『由緒正しい『唐人○○』の煉瓦塀だから、なんとかランタンフェスティバルに 間に合う様に頑張らんといかんね。』
3日後、見積書を持参された。 役所の工事だからぼったくるのかと思ったがなんと、見積書が安い、安価、良心的、すばらしい。 『晴れてるけん、もう工事にとりかかるばい。』 …と笑顔で去って行った。
…この様な文化財の修復に携われる職人を大切にしないといけないと思った。
後記…長崎市本石灰町(モトシックイマチ)は長崎市内の思案橋,銅座と隣接する 由緒正しい町である。一般にこの漢字はセッカイと読むのが正しいが 読み方はシックイである。
漆喰はすなわち天川漆喰であり当時河口であった浜崎地区にポルトガル船が来航しマカオから荷降ろしされている内に漆喰町(石灰町)と町名が変更 された。 時が流れ今度は長崎を出航した御朱印船がマカオまで行き 天川漆喰の原材料である漆喰(石灰)を輸入する様になった。
由緒正しい天川漆喰、令和の時代にもまだ町の至るところに明治時代 の煉瓦塀が残存してその赤褐色の目地を確認できる。
令和7年7月5日
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