真実 平成21年5月29日 実際、人の心が読めるというのはつまらない事である。 世間ではこれを「読心術」などと言っているようであり、普通の人でも若干ながら持っている能力である。例えば「いやな予感」とか「そういうと思っていた」等と、自分の予感がピタリ当たるような、そんな予知能力も類似点があるように考えられる。人間の能力は、知覚のもの以外は知られていないし、科学的にも解明されてもいない。知覚等と比べて、形の無いものだからという理由かもしれない。我々は、一生のうち知覚の使用頻度に比べると、何万分の一位しか使っていないこの能力を一つの技として、また、生活の為の必要技術として、すっかり忘れてしまっている。耳、目そして口、この三つで相手に自分の事を伝え、相手の事を知る。一般の人間はこれだけで一生を終える、そして悟る「人の考えている事はわからない...」と。 多分、これがサラリーマンの定年期の離婚にも、反映しているのではないだろうか?
人の心は正直である。口から出る言葉に“偽り”はあるが、心の中で“偽り”は考えていない。「読心術」に磨きのかかった私には実に愉快であり、特に女性の「○○さんを好きである」というような気持ちを読む時は、非常に痛快である。 映画等で頭の切れる殺し屋が、相手の罠にはまらず見事切り抜ける、多分ほとんどの皆さんが、感動を覚えるワンシーンだが「読心術」さえマスターしておけば、現実に可能な事なのである。「読心術」すなわちそれは、相手の思っている真実がわかる事であり、また同時にわかりすぎておもしろくないという事もある。わざと反対の事を言っておいて、あとで本当の事を言ってびっくりさせて笑いあったり、集団で1人をだましてみたり...私にとって、こういった事は皆無の世界である。私にはわかるのである、真実が...だまされたふりをして、わざと驚いてみせるなんて退屈でしょうがない。 私はある時、一つの宗教団体に入会し、能力を鍛えられ現在に至っている。教主は私にこの「読心術」をマスターさせてくれたが、私が教主の心を読もうとすると、まるで封鎖されているかの如く真白で、読めないのである。そして、教主はこう言う「おまえに読心術を授けたのは、そういう目的ではない」と。この目的が何なのか、まだ御教授いただいていないが、何かちょっと恐ろしい気がしてならない、日本を動かすような事なのかもしれないが、たった100余名の宗教団体で、そんなことを考えてはいないだろうと思う。何にせよ、この団体のおかげで能力を身につけることができたのだから、疑うようなことはやめよう。
仕事がこのところちょっと忙しいせいか、集祈会合(集まってみんなで祈る事)に1時間程しか参加できないので、団体の人々の顔ぶれはわからないが(集祈会合所は真っ暗で会員の姿は見えにくい)意外と、身近な人たちなのかもしれない。私と同じ能力を教授していただいているかどうかは知らないが(集祈会合所では何故か人の心がよめない)...
.....どうです、私が「読心術」を使えるというのは嘘です。 この文章で『真実』を、これが『嘘』であるという事を読めたでしょうか?
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