小生は大阪の鑑定人○○氏の「現場百回」の論文を読み、同じ職業の鑑定人のせいか、その言葉と共に文章を読むと、同氏の訴えたい事が小生の経験と共に伝わって来た。我々鑑定人は現場に足しげく何回も行き、調査をすべきである。 費用対効果という経済的な面を重視する事なく「適性払い」の為「適性な損害額鑑定」の為、不明点が少しでもあれば、再度現地へ赴く姿勢は大切と考える。 特に動産の損害額についての調査や出火原因についての検証は「現場百回」までいかなくても、現場へ3度~4度通えば、今まで見えなかったことが見えてくる場合がある。この考え方や調査方法は現在の鑑定人の考えでは無いと言う業界人もおられる。ただの自己満足であると発言するのである。 それではその人は一回の調査でどこまで調べられたのか、はたまたどの様な効率の良い調査をしているのであろうか? 前に述べた完全装備の鑑定人戦闘体制で現場に望み、更に経営者の特権で複数の鑑定人や従業員と分業調査を行なう小生の調査方法よりももっとすばらしいやり方があるのであろうか?周辺調査(所有権の確認,被保険利益の確認)も含めると、書類作成の日々を除いて、調査が複数日に至るのは普通の事と認識する弊社は時代遅れと言われてしまう時がある。 尊敬する諸先生方、先人の方々、小生は古い考えの鑑定人なのでしょうか? 誤解を恐れずに述べれば、火災現場等の調査はネットでの物の購入ではない。画像ではわからない部分が多い。※ネット販売を否定しているのでは無い。あくまで、火災等の事故現場のことについての例えである。 目で見て、触れて、感じて、においをかいで、肌で感じる部分が存在するのである。画像で物の判断はできない。 小生は外国に行った事がない。Movieで外国の映像は見る。それでマチュピチュを語るのは誤りと考える。VTRや文献を熟読して、マチュピチュの事は相当理解したと思っていても、マルコポーロの「東方見聞録」と大差無い。 我々鑑定人は保険会社や裁判所へレポートで伝えるのが鑑定書という最終結果である。それがマルコポーロのそれでは有ってはならない。日本という国はジパングでは無い。正確な鑑定書を書く為には十分な立会調査が必要と思っているのである。書面は二次元で奥行きがない。火災直後の乾燥した空気は伝わらない。気象庁のデータを添付したところで、現地との温度差は詰められない。現地の様子を臨場感を伝える方法とは科学が進んでいる現在でも、VTRを提供する際にも、言葉による解説が無いと伝わりにくい。 鑑定人が理解してもそれは問題の解決ではない。書類を見ただけでも読む人が理解できる様に…そんな鑑定書はいつ書けるのだろうか? この仕事を24年続けても、まだまだ結論が出ない。 新人の頃は10年目の先輩が違大すぎたが、小生は24年経っても、その人に近付けたのかどうか時々考える。まだまだ、日々研鑽しないおけないことは否定できない。ただし、どれだけ勉強したのか、どれだけ苦労したのかは客観的基準が無い。見る人の判断に任せる他ない。 事故状況は複雑であればあるほど、レポートを見る人は単純な因果関係を成立したがる。その方がわかりやすいからかもしれないが人間は脳という主観そのもので物事を考えるからかもしれない。 小生のよく使う言葉に「真実」がある。真実が他人に伝わりにくいのは良く述べた。真実があまり必要ない時代である事も述べた。しかしながら調査後の物書きを業としている小生にとっては真実を伝えたい。 幣社の従業員に「偶然性」についての社内研修を行った。 それがどの様に伝わったのか、どの様に判断したのか果たして真実をうまく教えられたのかどうか首をかしげる。 まだまだ努力不足の講師なのかもしれない。相手の心を読む事はチームの一員である従業員には実施しない。人を客観的に判断するのは身内外のみしかしない事にしている。 平成22年1月29日
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