我々鑑定人は火災の現場で、畳に出会う。2階の床が焼落し、2階の床組にわらが焼け残り、ぶら下がる。始めて現場立会した際(昭和62年)、その物体が畳とはわからなかった。いわゆる畳床である。稲わらを積み重ねたその物体はもはや畳とは知る由も無かった。 当時、ワラだから燃えて灰になると思っていたが、畳表(いぐさと麻糸で織った敷物)は焼けても消火注水を含んだ畳床は焼けない。ちなみに畳表だけの物体がござである。もっと言うと1階の畳は焦損はするが焼損はしない場合が多い。 地方によってその寸法が様々で、京間,中京間,江戸間が有り、琉球畳はその形状すら異なる。畳は中国から伝わったと考えられる人が多いかもしれないが、実は畳は日本発祥であり、一説には1300年前から作られていたとの事らしい。先人の知恵から当初の原型を逸脱して独自の日本文化で変化し、今や日本の文化である。 琉球王朝や琉球国の歴史と文化が大好きな小生は高価で縁無しの3尺×3尺の琉球畳は至高の畳とひいきする。 学生時代、バイトで福岡市の天神地下街を畳8枚を1人でかついで数往復した際、畳って重いと思っていたが、昭和62年にこの業界に入り、それが「スタイロ畳」というスタイロフォーム(発泡ポリスチレンフォーム)の入った軽量畳と知り、愕然とした。本畳では8枚は持てないのだ。また、高校生の頃、柔道した際の畳表がグリーンの物だった事を思い出し、「すり足」には通常畳では無理と今思う。また、島原半島の現場に行くと縁に家紋が入っており、更に驚く。またその畳表のイグサの色が変化し、模様をつけている。おそるべし畳道である。 小生は侍が好きで、日本刀が大好きで、入母屋の家が一番と考えている。残念ながら小生の娘は洋風のフローリングが好きである。たわけた奴と心で思う。日本人なら畳であると主張したいが娘に嫌われたくない気持ちが、先行し、あまり語らない様にしている。畳のクッション性や、吸音声を伝えたいが、娘が年配になる日を待つしかない。焼場の畳を想像してもその焼損した畳を安全靴で踏む時、少し寂しくなる。「畳の上で死にたい」とおっしゃる人の気持ちを考えるとなおさらである。
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