あの時最後だとわかっていたなら If I knew it would be the last time. 母が亡くなる2週間前、病院のベッドに横たわり、目だけこちらを見る母がいた。癌が脳に転移し、医者が言うにはもう自分という意識は無く、死を待つだけという過酷な告知だった。 最後に会話を交わしたのは3ヵ月前の大学病院だった。その頃はまだ母は自分という認識があった。 照れ臭くて必要以上の会話の無い一日を過ごし、母が一方的に引越ばかりする小生に説教が多かった記憶がある。 母に説教を受けると真面目に聞かず、聴き流していた。 あの時最後だとわかっていたなら、、、もっと話をすべきだった。 会社経営が苦しいこと、悩みが多いこと、人間を信用できないこと、人としてくだらないこと、たわいもないことでもいいからこちらから話すべきであった。 『後悔後を絶たず』である。知識やボキャブラリーの貧困な母でも、息子に対しては人生のキャリアでなにかアドバイスできたのかもしれない。 あの時最後だとわかっていたなら、母との最期の会話をすべきだった。 他界して8年経っても未だに思い出す母の顔。 感情を素直に出せない自分に自己嫌悪に陥る。
とある損保の雪災の対策本部での最後の日の2,3日前、 これが最後のお勤めとわかっていたなら、若手鑑定人に効率の良い損害額算定方法をアドバイスしたり、現場調査の効率的図面の作成の仕方等、 僭越ながら教えとけば良かった。 これが最後だとわかっていたなら、保険会社の査定の新人の悩みを聞いてあげとけば良かった。忙しさに負けて、手一杯だったが、食事に誘われた時、書類作成があるからと断ってしまったり、飲みに行こうと誘われた時、明日が早いからと仕事中心に時間的なことを考え失礼の無い様に断ったことが悔やまれる。 あの時最後だとだとわかっていたなら 平成26年6月24日
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