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  風災担保の沿革
風災担保の沿革
 
損害保険業界では風災(台風,竜巻)の被害が火災保険で担保になっていることが当り前である。
 しかしながら、その事の沿革を知らない業界人が多すぎる。

昭和57年頃、監督官庁(旧大蔵省)からの指示で損害保険会社に火災保険の保険料を下げる様に指示があった。
火災保険の担保危険に風災を付加することで、保険料の値下げをせずに
現行のままの保険料で了解を得られ、現在の火災保険は風災担保となった。
この事が保険会社の査定セクションをすこぶる多忙にしてしまい、現場を調査する我々鑑定事務所が鑑定人不足に陥ったものである。

その後、鑑定人を増やせ、増やせとなり、全国で250名程しか存在しなかった鑑定人を現在の約1,000名程以上に膨張させた。

その事が様々な悲劇を生んだことは記憶に新しい。

平成3年9月27日の台風19号(りんご台風)で中小企業であるはずの
鑑定会社が利益を上げた。

正にこの台風19号が戦犯である。

保険会社が大変な時に鑑定会社が利益を上げるのはおかしいとなり、
当時は鑑定料は損保協会を通じて、すべて決定していたのだが、直ちに
鑑定料改正となり、鑑定料金が大幅に減額され、平成4年に30%減の料金、要は3割引きの料金となった。

 風災のせいで、鑑定人制度ばかりに問題がすり替わり、現行制度に落ち着くまでに鑑定料にメスが入り、引き下げられ、鑑定会社経営者にとって、リストラを余儀なくされ、公正取引委員会の指導のもと、最後は平成6年に鑑定料自由化になったが、ご存知の通り、自由化すると鑑定料は値上げすることは困難となり、代わりに仕事欲しさに鑑定料の値引きが当たり前となった。
当然、各鑑定事務所の利益が上がらなくなった。

 殆どの鑑定会社が平成4年の鑑定料のままで24年前の単価で仕事をしている。儲かるわけも無く、社会保険料負担や増税に法人として苦しくなり様々な会社で独立開業が相次ぎ、建築の副業をしたり、苦しい鑑定会社は二足の草鞋で経営していたりした。

 ところが、客観的な立場の鑑定人が副業は良くないことと指導を受け
本業一本で経営しないといけなくなり、各鑑定会社は悲鳴を上げているのが現状である。

中小零細企業の鑑定会社や個人の鑑定会社は廃業を余儀なくされた。

代わりに増えたのは保険金請求斡旋業者である。
彼らには、保険会社の指導は関係無く、監督官庁の指導も行き届かない。
理由は簡単で、問題となったら会社を解散し、別会社としてまた立ち上げることに他ならない。
 
正に看板の掛替えである。

 平成28年9月14日


長崎火災鑑定工業有限会社
〒850-0003 長崎県長崎市片淵5丁目11番1号光コーポ105号