働き過ぎて救急車で搬送される その1
今から13年前の平成18年(2006年)の10月とある保険会社の対策本部 で台風災害の対策本部で長崎県外から集まった鑑定人達のコントローラーを していた。 当時は夜10時くらいまで対策本部で残業することは常識の時代で あった。
『処理率、処理率!〇%しか完了してない,etc…』の毎日であり、 令和の時代には無い発想で日々人間の限界まで働くことが常識の時代 であった。
いいか悪いかの議論では無く、被災者救済の為に鑑定人が無休で 早朝から深夜まで台風災害の調査鑑定処理は已む無しの風潮であった。 まあ、きっと今もそう。
当然、鑑定人は2ヶ月間、休み無し、土日無し。
対策本部が立ち上げられて2ヶ月後のある日、体調不良で 夕方後ろ髪を引かれる思いで対策本部を出た。 午後6時頃、タクシーで自宅に帰った。 歩くこともままならない状態で、タクシーを降りた瞬間にゲロしてしまった。
自宅に帰っても体調悪化が加速し、ついに倒れてしまった。 痙攣が止まらず呼吸が出来ない。
長女が電話した救急車が到着した様であるが、全く身体が動かない。
救急車が救急病院へ無線で連絡して断られるやり取りをなぜか 記憶している。 救急車のリヤサスは堅めのセッティングであり、ダンパーが効かずよく跳ねる。 やっと○○病院へ搬送されて、治療を受けた。 おう吐下痢の連続であった為、のどが渇くが、水を飲めない。 動けない。
看護士の女性に水をくださいと懇願したが、点滴するからと却下。
せめて水道の蛇口に行けばなんとか飲めるはずが、体が痙攣したままで 動けない。
次の日の朝を迎え、やっと容態が安定し、顔を洗うふりをして蛇口で水を飲んだ。ミネラルウォーターよりもおいしい錯覚を覚える。
しかし、その30分後、また激しいおう吐下痢に襲われ、飲んだ水は全部吐いてしまった。 ああ、ヤクルトくらい飲みたいと思いながら、また気を失う。
令和1年10月22日
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