幼少時(小6)の鼓笛隊の忖度
小学6年生の時に創立百周年記念のイベントで大々的な鼓笛隊を結成して 披露することとなり、6年2組の委員長であった小生は当然、それなりの位置に配属され、例えば指揮者,太鼓,シンバル,鉄琴,そう、衣装を着て、バトントワラーの後ろで演奏する大切な役割になるはずと思っていた。
ちなみに、校長先生は小生の伯父であり、小生は校長の甥っ子であった。 先生達もその事を知っていたから、小生を特別扱いし、所謂忖度していた。 小学校に入学して以来、品行方正,成績優秀,現在の恐い容姿と異なり、見た目はおぼっちゃまの小生、指揮者くらいは当然なるものと覚悟していた。
まあ、楽器は得意じゃないが、鉄琴は弾いてみたかったから、指揮者を指名されたら、鉄琴に立候補しようと心に決めていた。
小学6年生が先頭で所謂役物であり、その後ろに小学5年生以下 がリコーダーの体操服姿でぞろぞろ後ろをついていくという構図である。
他のクラスの6年生の委員長,副委員長の役員達は当然、鼓笛隊の最前列で 特別衣装を着て、楽器を鳴らす。
当時、リコーダーは『笛』と呼称し、その音色がいい訳もなく、ただの プラスティックの縦笛であった。
同じ様な笛を吹くなら、委員長の小生は少なくとも、クラリネットくらいの楽器にして欲しかった。
学校の決定事項は小学3年~5年生は全員リコーダーであり、 役職に漏れた6年生の10人程は役職無しの笛と決まった。
200人くらいの低学年に交じり、笛の奏者として校長の甥っ子がそこにいた。 下級生の冷たい視線を浴びながら、小生は笛の奏者となっていた。
要は、鼓笛隊の後部をぞろぞろついていく別に必要性が無い 生徒扱いである。
笛を吹いたふりをして行進しても、2~30人笛を吹かなくても体制に影響は無い。
伯父が校長先生であるから、その甥っ子を特別扱いするわけにいかず、
甥っ子を下っ端の笛に推挙したのは完全におじさんである校長であった。 それくらいは12歳でも理解できた。
『おじさん、百周年記念の鼓笛隊ばい。委員長の俺が指揮者になっても 誰も文句は言わんよ。』 とイベント終了後30年経って元校長に提言した。
「おお、ひろあき(小生の事)、校長の甥っ子が役職に就いたら間違いなくPTAやら父兄から苦情が来る。だから一番下っ端につけるしかなかった。」 明らかに大人の事情である。
勿論、わかっていたが、当時12歳にして社会について 学べるとは思っていなかった。
伯父はPTAと父兄達に忖度していたのである。
別に恨んではいないがその後、伯父は転勤しても校長先生を続け、 定年退職しても幼稚園の園長先生に就任し、そこを退職したら、 町役場の助役となった。
大好きな伯父さんであったから、まあいいが、 普通、12歳の子供はぐれるだろうと思いながら、 社会の厳しさを教えて頂いた。
この事が、まるで、賠償責任保険に立会調査し、被害者からの苦情、叱責を浴びる際の免疫になっている様な気がする。
そして、保険会社の代わりに契約者や被害者から怒られても、 それは保険業界の後部をぞろぞろついていくリコーダー部隊であるから、 そこにいる2~30人が笛を吹かなくても、怪我をして休んでも、 鼓笛隊の行進において体制に影響は無い。
鑑定人はリコーダーを吹く目立たない体操服の6年生である。
今回は幼時体験を私的に、史的に、詩的に、記載して 現在の立場に当て嵌めた。
令和2年3月31日
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